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アメリカの皇帝【東京雑学研究会編】
- アメリカは大統領制で皇帝は存在しない。それは世間一般の常識だが、よくよく調べてみると、この国にも一人の皇帝が存在していたのである。
その人の名前はジョシュア・エイブラハム・ノートン。名前でもわかるとおり、一八一九年、イギリスのロンドンでユダヤ人として生まれた人物である。
彼は一八四九年、ゴールドラッシュでわくアメリカに渡る。四万ドルを土地の投機につぎ込んで、わずか四年で二五万ドルに増やしたというから、かなり商才があったのだろう。その後も、茶、コーヒー、石炭、小麦粉、牛肉、米などの商いで次々に成功した。
彼はやがて「帝国建設者」と呼ばれるようになり、まもなくその称号は「皇帝」に変わった。というのも、彼はそこで実力者だったからだ。
やがて、そんな羽振りのよさに陰りがさしてくると、彼はいきなり新聞に皇帝の宣言を掲載してほしいと要求する。
「合衆国国民の強い要望で、余ノートン家のジョシュアは、合衆国皇帝たることを宣言する」。彼の布告が、当時の新聞「コール」の一面を飾ったのは、ジョークの一種だったのかも知れない。
彼は連邦諸州の代表者に音楽堂へ集合するよう求めていたが、もちろん、誰も来なかった。布告はその後も何度か「コール」紙面をにぎわし続けた。
皇帝は一晩五〇セントの下宿に住み、生活が困窮すると「帝国債券」を発行した。市民は、それを快く買ったという。公共の交通機関もただ、日用品は商人が提供し、飲み食いもレストランはただ。扱いは立派な皇帝並みだったのである。
彼の妄想や思い込みに市民がつきあい、彼は町の人気者になっていったわけだ。
ノートンは皇帝の仕事と思ったのか、当時の大統領リンカーンに、イギリスの女王ヴィクトリアと結婚するように電報を打ったりした。アメリカとイギリスがもっともっと親しくなってもらいたいと願ったからである。いかにもジョークの国アメリカならではで、ワシントンから「大統領がノートン一世の忠告を真剣に検討したいと考えている」という返信まで受け取っているのだ。
サンフランシスコ市のシンボルでありつづけたノートン皇帝だが、一八八〇年一月八日、その一生を閉じた。その翌日の新聞はもちろん「皇帝逝去」のニュースを伝え、葬式には三万人もの人が参列したのだという。
町中がノートンの思い込みにつきあった、この皇帝の存在は、古きよき時代のアメリカの一つのエピソードである。
§アメリカにかつていた皇帝とは?
【出典】![]() |
東京書籍(著:東京雑学研究会) 「 雑学大全 」 |
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雑学大全

- 【辞書・辞典名】雑学大全[link]
- 【出版社】東京書籍
- 【編集委員】東京雑学研究会
- 【書籍版の価格】2,160
- 【収録語数】1,000
- 【発売日】2004年8月
- 【ISBN】978-4487799473