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1235(文歴2)年、藤原定家が親友の求めに応じ、嵯峨の小倉山荘の障子に飾る色紙に複数の勅撰和歌集から100人の歌人の歌を1首ずつ選び、書写しました。これが「小倉百人一首」の初出とされています。近世以降は歌カルタとして普及し、現在にいたっています。
50辞書一括検索1235(文歴2)年、藤原定家が親友の求めに応じ、嵯峨の小倉山荘の障子に飾る色紙に複数の勅撰和歌集から100人の歌人の歌を1首ずつ選び、書写しました。これが「小倉百人一首」の初出とされています。近世以降は歌カルタとして普及し、現在にいたっています。