見出し語 全文検索 [ランダム検索]

  • 今日のこよみ
    ・2019年(平成31年/)
    ・12月(師走/December)
    ・19日
    ・木(Thursday)
    ・二十四節気
    ┣「大雪」から12日
    ┗「冬至」まで3日
    先負
    ・十支:(かのえ)
    ・十二支:(とら)
    月齢:22
    月名(旧歴日):下弦の月/下つ弓張(しもつゆみはり)
気づいた点・不具合・要望など、何でもひとことくださいませ



※返信が必要な場合は問い合わせフォームへお願いします 送信

 源義経【みなもとのよりつね】



5 言い伝えが極端に違う源義経の容姿…美男子だったか、それとも醜男だったのか?
 「判官贔屓」という言葉がある。弱者に対する同情を意味するが、もちろんこれは、源九郎判官義経が悲劇的生涯を送ったことに端を発した諺である。兄・頼朝のために平家一門を倒したにもかかわらず、その兄に追われ、身を寄せた先の奥州藤原氏に殺されて終わる。そんな薄幸の天才武将ゆえ、義経は昔から日本人に絶大な人気を誇る。
 ところで、義経の容貌はどうだったのだろう?
 薄幸というからには、何となく色白の美男子を思い浮かべてしまうかもしれない。事実、室町時代後期に成立した『義経記』には、「心ざま、眉目容貌、たぐいなく」とあり、また女装した義経を「唐の玄宗皇帝の代なりせば、楊貴妃ともいひつべし。漢の武帝の時ならば、李夫人かとも疑うべし」と絶世の美女に比している。
 だが、『玉葉』や『吾妻鏡』といった、義経と同時代の鎌倉初期に書かれた史料には、残念ながら彼の容貌に関する記述は見当たらない。
 一方、鎌倉中期の『平家物語』では、「面長くして身短く、色白くして、歯出でたり」と紹介されている。何と、馬面の出っ歯だったというのだ。しかも、「平家のなかの選り屑よりも、なお劣れり」とある。つまり、並以下の醜男だったというのだ。また、『義経記』の頃に成立した日本最古の舞楽と言われる幸若舞の演目の一つ『笈さがし』には「向歯反って、猿まなこ、あかひげにまします」とあり、出っ歯で猿みたいな目に赤い鬚をはやしていたとされている。
 いったい義経は、美男子だったのか、それとも醜男だったのか、謎は深まるばかりである。

【出典】 日本実業出版(著:河合敦)
日本史の雑学事典

JLogosエディター

JLogos編集部

JLogos編集部です。…>>続き

キュレーターページ(外部)

まとめ一覧

プロフィールを見る

プロフィールを閉じる


  • 14625004
    0
    しおり
  •      
  •      



▼お隣キーワード:長慶天皇  長慶天皇  平清盛  日本書紀  

   


  1. ◆「源義経」の関連ワード

  2. 長慶天皇

  3. 長慶天皇

  4. 平清盛

  5. 日本書紀


A D

日本史の雑学事典について
歴史上の人物の意外な素顔や、有名な事件の驚くべき真相などを掲載。 教科書ではあじわえない歴史の奥深いおもしろさ、たのしさが収録されています。
この言葉が収録されている辞典

 日本史の雑学事典


  • 【辞書・辞典名】日本史の雑学事典[link]
  • 【出版社】日本実業出版社
  • 【編集委員】河合敦
  • 【書籍版の価格】1,404
  • 【収録語数】136
  • 【発売日】2002年6月
  • 【ISBN】978-4534034137










関連辞典
日本史の雑学事典 日本史の雑学事典 日本史の雑学事典 日本史の雑学事典