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今日のこよみ ・2019年(平成31年/猪)
・12月(師走/December)
・19日
・木(Thursday)
・二十四節気
┣「大雪」から12日
┗「冬至」まで3日
・先負
・十支:庚(かのえ)
・十二支:寅(とら)
月名(旧歴日):下弦の月/下つ弓張(しもつゆみはり)
?手作業の復興とともに到来した繁栄の時代
- 石臼製粉機による製粉、手碾き製粉ということだけでなく、一言で自家製粉といっても様々である。そばの実(玄そば)の何を生かし、何を除去するのか。どれ位の粒子の粉に製粉するのか、粗いのか細かいのか、粉の粒子の大きさに幅を持たせるのか、均一にするのか。何がいいのか悪いのか。金科玉条的なものは何もない。ある職人にとっては排除する要素が、ある職人にとっては重要な要素となったりもする。無辺際に広がる選択肢の中で、職人は己のイメージするそばを実現するために、玄そばと石臼と篩を相手に格闘する。自家製粉はそばの可能性を大きく広げた。職人によるそばの有り様が実に多彩になった。そこには溌剌たる個性の発露がある。その個性は店作りにも直截に反映した。こうして斯界はにわかに活性化した。冒頭記した麻布永坂「更科」や滝野川「藪忠」もかくの如しと思われるようなはれがましいそば屋も誕生した。大正から昭和の初めにかけて二十年で失ったものを、現代のそば職人たちは自家製粉の付加価値付きで、二十年で我が手に取り戻した。手作業の輝かしい復興。少々手垢のついた言葉ではあるが、“そばルネサンス”と言いたくなる。
もっとも、こんな風に手放しで称揚できるのは、第一世代の核になった店を中心に、そう多くあるわけではない。
近頃は製粉機も長足の進歩をとげた。まるで全自動洗濯機のように、少々ボーッとしていても一応の自家製粉はかなう。そうして巷にあふれているそば教室にでも通えば、とりあえず「手打ち、石臼碾き自家製粉」の看板を掲げてそば屋を始めるのは簡単事となっている。しかもこれをアガリと思っているそば屋がしばしばある。無論ただの始まりに過ぎない。手作業は研鑽を積まないとどうしようもないことになってしまう。店構えや設えは整った店で近所のおじさんが休日に家族サービスでそばを打ったんですが、あまっちゃったんで食べてくださいというようなそばを供されても閉口だ。
第一世代のそば屋の特徴の一つは、手作業が途絶えていたとはいえ、昭和の時代を泰然と通過してきたそばの名店と、何らかの関わりがあったということだ。彼らは江戸期以来の連綿たるそばの歴史と縦糸でつながった先で、職人としての才能を開花した。縦糸と直接つながりのなかった職人も、つながりのあった職人を通じてその琴線に触れた。この縦糸は意識さえすれば次世代でもいくらでも紡いでいくことができるのだが……。脱サラ的に横断的に斯界参画してくる人が多い今日、技術の研鑽を積む方向性を、そばの歴史の本流に探るということは大切である。
しかし無論、徒に「石」ばかりが増えているのではない。かけがえのない新しい「玉」に出合えることも多々ある。“手打ち、石臼碾き自家製粉”というのはうまいそば屋の代名詞ではない。そばの一つのカテゴリーに過ぎない。立ち食いそばであれ、出前そば屋であれ、老舗の名店であれ、それぞれに「玉」と「石」があるということだ。
おびただしい「玉石混交」は繁栄の証左でもある。そば屋が今日のような多彩な豊富性を誇った時代はない。このような時代にあっては、食べる側も固定概念にとらわれることなく、昼の簡単な食事に使うそば屋、一人でじっくり一献傾けるそば屋、仲間とにぎやかにやるそば屋、なにかの記念に使うハレのそば屋等々使いわけるとそば屋の楽しみも大いに広がって楽しい。嗜好はきわめて個人的なものだ。その嗜好と目的に応じた格好のそば屋は必ず存在する。そば屋の受け皿は今とても大きい。
【出典】![]() |
東京書籍(著:見田盛夫/選) 「 東京-五つ星の蕎麦 」 |
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東京-五つ星の蕎麦について | ||
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この言葉が収録されている辞典 |
東京 五つ星の蕎麦

- 【辞書・辞典名】東京 五つ星の蕎麦[link]
- 【出版社】東京書籍
- 【編集委員】見田盛夫/選
- 【書籍版の価格】1,836
- 【収録語数】217
- 【発売日】2006-12-01
- 【ISBN】978-4-487-80147-3