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 塩の道【しおのみち】


謙信が信玄に贈った塩の道



「塩」の文字を使った地名が全国には無数にある。塩釜、塩川、塩崎、塩沢、塩尻、塩田、塩津、塩野、塩江、塩山、塩原などなど。それだけ昔の人にとって、塩は大切なものだったといえよう。
塩の字のつく地名は沿岸部ばかりではなく、内陸部にもある。塩が海から運ばれていたのである。それが塩の道で、全国には塩の運搬路はいく筋もあった。海から遠く離れた内陸部に住む人にとって、塩の道は、命綱ともいえる重要な生活路だったのである。特に雪深い地方では、野菜などが収穫できない冬に備えて、漬物や味噌などをつくって保存しなければならなかった。
越後の上杉謙信武田信玄に塩を贈ったという故事は有名である。戦国時代、駿河の今川氏と相模の北条氏は、共同戦線を張って甲斐の武田氏と戦った。武力では不利だとみたのか、今川氏と北条氏は、甲斐への塩の道を断つ作戦に出た。甲斐には海がない。塩は命の次に大切な食料源だ。塩の道を断てば、武田氏は降伏せざるをえなくなる。そう読んだのだろう。しかし、それを聞きつけた上杉謙信は、その戦法は武士道反するとして、敵対関係にあったにもかかわらず、武田氏に塩を贈った。塩がいかに大切なものであったかを物語るエピソードである。
塩の道としては、日本海側では糸魚川から大町を経て、松本盆地に至る千国街道、太平洋側では、三河の足助(あすけ)から伊那谷を通り、塩尻に通ずる三州街道が有名である。塩尻市は、日本海側からも太平洋側からもほぼ等距離にある。尻はしっぽ、最後、果て、などを意味する語だ。塩尻は塩の尻、すなわち塩の道の終着地だったことが地名の由来だといわれている。上田市にも塩尻がある。直江津から北国街道を通って塩が運ばれた終着地だったという。

【出典】 日本実業出版社(著:浅井 建爾)
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  • 【辞書・辞典名】道と路がわかる事典[link]
  • 【出版社】日本実業出版社
  • 【編集委員】浅井 建爾
  • 【書籍版の価格】1,620
  • 【収録語数】255
  • 【発売日】2001年11月
  • 【ISBN】978-4534033154










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