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今日のこよみ ・2019年(平成31年/猪)
・12月(師走/December)
・19日
・木(Thursday)
・二十四節気
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・十支:庚(かのえ)
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月名(旧歴日):下弦の月/下つ弓張(しもつゆみはり)
脇街道【わきかいどう】
- 東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道には、付属する脇街道もあった。美濃路、佐屋路、本坂道、日光御成街道、壬生街道、日光例幣使街道、水戸街道、佐倉街道などの脇街道は、五街道とともに幕府直轄の主要な幹線道として重要視された。幕府はこれらの街道を管理するために道中奉行を置き、道中奉行は宿場、架橋、渡船、並木、一里塚などの整備にあたった。五街道とこれに付属する脇街道以外の諸街道は、勘定奉行の管轄であった。
東海道の脇街道である本坂道は、姫街道とも呼ばれていた。決してお姫様の行列が通ったことから名付けられた街道名ではない。ではなぜ、姫街道と呼ばれていたのだろうか。本坂道は浜松から浜名湖の北岸へ回り込み、本坂峠を越えて東海道の御油(ごゆ)(豊川市)に合流する街道で、婦女子の通行が多かったことから姫街道と呼ばれるようになったのだといわれている。
東海道の浜松と御油の間には新居関がある。ここでの「入鉄砲出女」の取締りが厳しかったのである。特に出女、すなわち人質として江戸に常住させている諸大名の妻子に対する取調べは、身の毛立つほどの厳しさだったというから、大回りをし、峠を越えてでも新居関を避けたかったのである。新居関は箱根関とともに、諸大名の謀反を防ぐ重要な役割を果たしてきた。当時の建物が現存するのは全国で唯一新居関だけだ。
婦女子が姫街道を通ったもう一つの理由に、浜名湖が海とつながっている部分の今切の渡しがあった。「今切」が「縁切れ」に通ずるとして、縁起が悪いから避けたともいわれている。毎年四月一日には、姫街道の名にちなんで、当時の風俗に扮する姫道中が本坂道を練り歩く。
東海道の脇街道、本坂道をなぜ姫街道という?
【出典】![]() |
日本実業出版社(著:浅井 建爾) 「 道と路がわかる事典 」 |
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道と路がわかる事典

- 【辞書・辞典名】道と路がわかる事典[link]
- 【出版社】日本実業出版社
- 【編集委員】浅井 建爾
- 【書籍版の価格】1,620
- 【収録語数】255
- 【発売日】2001年11月
- 【ISBN】978-4534033154