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 甲府勤番【こうふきんばん】



12 幕臣が泣いて嫌がった甲府勤番…一度入ると出られない、トラブル地域の恐ろしい職務
 現代のサラリーマン同様、江戸幕府でも、失脚したりミスを犯して左遷されるのは日常茶飯事だった。切腹させられないだけ、ましかもしれない。
 だが、そんななかでも、幕臣たちが泣いて嫌がったのが、甲府勤番への配置替えであった。
 甲府勤番の制度は、1724年に創設された。この年、甲府城主・柳沢吉里が大和郡山藩へ転封され、甲斐国は天領になった。そのため、同国を支配する職が必要になったのである。
 甲斐国は、重要拠点であると共に、難治の国でもあった。米倉騒動(1750年)、太枡騒動(1792年)、郡内騒動(1836年)と、たびたび農民が一揆を起こしている。郡内騒動のさいには、数千の農民が甲府城に襲来、甲府勤番は他藩に助けを求めて、どうにか農民たちを鎮撫した。そのうえ、荒々しい博徒たちが、農村に隠然たる力を持っていた。土地が山がちで痩せていて、華のお江戸から100キロ以上も隔たっている。
 だから、幕府から甲府勤番への打診を受けた幕臣は、あらゆる伝をたどって、幕閣に嘆願運動を展開する。病気や老父母の世話などを理由にして、何としても甲府行きを免れようとした。一度甲府勤番士に任命されたら、代わりの者がいないため、江戸へ戻ってこれなくなるからだ。
 そのため、同地へ配属される幕臣は、失脚したり失態を犯した人間、つまり断れない人たちばかりになってしまった。
 なかには、悲嘆の余り自殺したり、発狂したりする者が少なくなかったというから、何とも恐ろしい役職である。

【出典】 日本実業出版(著:河合敦)
日本史の雑学事典

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  • 【辞書・辞典名】日本史の雑学事典[link]
  • 【出版社】日本実業出版社
  • 【編集委員】河合敦
  • 【書籍版の価格】1,404
  • 【収録語数】136
  • 【発売日】2002年6月
  • 【ISBN】978-4534034137










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