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今日のこよみ ・2019年(平成31年/猪)
・12月(師走/December)
・19日
・木(Thursday)
・二十四節気
┣「大雪」から12日
┗「冬至」まで3日
・先負
・十支:庚(かのえ)
・十二支:寅(とら)
月名(旧歴日):下弦の月/下つ弓張(しもつゆみはり)
金の鯱【きんのしゃちほこ】
- 名古屋のシンボルでもある名古屋城の金の鯱。一対の金の鯱は、天守閣の北側にあるのがオス、南側にあるのがメスで形や大きさも少し違う。もとは名古屋城だけでなく、安土城、大坂城、江戸城にも、火災除けのお守りや、城主の威厳を示すために置かれていた。しかし、次々に破壊されたり、火災などで消失して、江戸の中期には名古屋城の金の鯱だけが残った。名古屋城の金の鯱は、はじめは一対で慶長大判一九四〇枚分、重さにして約三二〇キロもの金が使われていた。しかし、藩の財政事情の悪化により、三度も改鋳して、金の純度を下げていった。純度が下がって、光沢の鈍った金の鯱を隠すため、鳥を避けるという名目で、周囲を金網で囲うこともあった。明治に入ると、金の鯱は、国内の博覧会や一八七三(明治六)年のウィーン万国博覧会にも出品され、注目を集めた。その後、一八七九(明治一二)年に名古屋城の天守閣に戻る。こうして三〇〇年以上も天守閣を守った金の鯱だったが、第二次世界大戦中の一九四五(昭和二〇)年五月の空襲により、天守閣とともに焼失してしまう。しかし、完全には燃えてしまわず、燃えカスが残った。その燃えカスは、一度はGHQに接収されたが、大蔵省を経て一九六七(昭和四二)年にようやく名古屋市に戻ってきた。名古屋市は、残った金塊で、名古屋市旗の冠頭につける小さな金の鯱と、金の茶釜をつくった。現在、名古屋城の天守閣は、一九五九(昭和三四)年に再建され、金の鯱もそれにあわせて復元された二代目になる。なお、この二代目の金の鯱に使われた金は八八キロである。
名古屋城の金の鯱は、金の茶釜になった
【出典】![]() |
東京書籍(著:東京雑学研究会) 「 雑学大全2 」 |
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雑学大全2について | ||
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この言葉が収録されている辞典 |
雑学大全2

- 【辞書・辞典名】雑学大全2[link]
- 【出版社】東京書籍
- 【編集委員】東京雑学研究会
- 【書籍版の価格】2,160
- 【収録語数】1,000
- 【発売日】2004年8月
- 【ISBN】978-4487801305