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 鎌倉街道【かまくらかいどう】


鎌倉街道はどことどこを結ぶ道?



「○○街道」というと、普通は特定の一本の道を指すことが多いが、鎌倉街道に限ってはこの常識が通用しない。鎌倉街道はどことどこを結んでいた街道か? などという設問は、愚問でしかないのだ。「すべての道はローマに通ず」いや「すべての道は鎌倉に通ず」。鎌倉に通じていたすべての道を鎌倉街道、あるいは鎌倉往還と呼んでいたのである。
源頼朝が鎌倉幕府を開くと、支配力を強化するために道路整備に力が注がれた。東国の各地域とを結ぶ道が続々と建設されたため、鎌倉街道は無数にあった。特に武蔵や相模には、鎌倉街道網の目のように張り巡らされていた。とはいうものの、幹線道はごく限られており、その多くは、現在でいう中部地方の以東を走っていた。従来からあった道に手を加えただけのものも少なくなかった。幹線道は各国の国府を通り、街道沿いには守護所も置かれた。
主要な幹線道としては、鎌倉から武蔵、上野の国府を通り、碓氷峠を越えて信濃へ行くもの、東海道筋をたどる京鎌倉往還、甲斐とを結ぶ道、下野の国府を通り、白河関を越える道、常陸の国府、勿来関(なこそせき)経由で奥州に行く道などがあった。
鎌倉は三方を山に囲まれ、南側は海。要害の地としてこれほど優れた立地はなかったといえよう。鎌倉と諸国から伸びてくる街道とをつなぐために、これらの山を掘り割って、切通しがつくられた。鎌倉には七か所の切通しがあったことから七切通しと呼ばれていた。この切通しが外部に通じる唯一の道で、敵に攻め入られたときには、この切通しの防御を固めればよかった。
鎌倉街道には、今でも機能している道が多くあり、そこが律令国家時代の七道駅路のように跡形もなく、この世から忘れ去られてしまった道とは大きな違いである。

【出典】 日本実業出版社(著:浅井 建爾)
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  • 【辞書・辞典名】道と路がわかる事典[link]
  • 【出版社】日本実業出版社
  • 【編集委員】浅井 建爾
  • 【書籍版の価格】1,620
  • 【収録語数】255
  • 【発売日】2001年11月
  • 【ISBN】978-4534033154










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