見出し語 全文検索 [ランダム検索]

  • 今日のこよみ
    ・2019年(平成31年/)
    ・11月(霜月/November)
    ・21日
    ・木(Thursday)
    ・二十四節気
    ┣「立冬」から13日
    ┗「小雪」まで1日
    仏滅
    ・十支:(みずのえ)
    ・十二支:(いぬ)
    月齢:24
    月名(旧歴日):鎮静の月
気づいた点・不具合・要望など、何でもひとことくださいませ



※返信が必要な場合は問い合わせフォームへお願いします 送信

 江戸日本橋【えどにほんばし】


実は東海道ではなかった江戸日本橋



東海道東山道山陽道などの七道は、都から各国府を結ぶ幹線道の名称であるとともに、行政区分の名称でもあった。東海道は常陸、下総、上総、安房、武蔵、相模、甲斐、伊豆、駿河、遠江、三河、尾張、伊勢、志摩、伊賀の一五か国から成る。しかしこの行政区分、律令国家が成立後に定めた当時のものではなかった。当初、武蔵は東海道ではなかったのである。
武蔵国は七七一年に東海道に新たに加わったもので、それまでは東山道に属していたのだ。当時の東海道の経路は、相模の三浦半島から東京湾を横断し、房総半島(上総)に上陸。そこから北へ向かって、常陸の国府に達していたのである。
房総半島は、北部が下総、南部が上総であることを不思議に思ったことはないだろうか。普通は北が上で、南が下のはずだ。また、都に近い方が上で、遠い方が下でもあった。上野(群馬県)が下野(栃木県)より、都に近いことからもそれがわかるだろう。上総を下総の位置関係もこれと同じ理屈で、東海道が海路をとっていた当時は、上総の方が下総より都に近かったのである。
当時の東海道が、三浦半島から房総半島に渡る経路をとっていたであろうことを物語る伝説が残っている。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征した折、相模国の三浦半島から船で上総国へ渡った。だが、日本武尊の乗った船は暴風雨に見舞われた。妻の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)は、荒れ狂う海の神を鎮めるため、海に身を投げた。やがて海は静まり、日本武尊は無事上総へ渡ることができた。最愛の妻を失った日本武尊は、「君去らず袖しからみに立浪のその面影を見るぞ悲しき」と詠い、妻との別れを惜しんだという伝説である。「君去らず」が木更津に転訛したといわれている。
木更津といえば、東京湾アクアライン東京湾横断道路)の千葉県側の入口だ。また、木更津の南に隣接する君津市は、君去津の略称地名だという。この日本武尊がたどった経路こそ、まさしく東海道だったのである。
なぜ、相模から武蔵へのコースをとらなかったのか。当時、利根川は東京湾に注いでいた。東京湾の最北部に位置していた武蔵国には低湿地が広がり、通行が困難であったのだろう。だが、やがて陸奥部の陸化にともない、陸路が整備された。そして、東海道も海路から陸路に変更された。と同時に、武蔵は東山道から東海道に移された。ということは、海路をとっていた当時の東海道の終着駅は、常陸の国府の水戸だったということになる。もし東海道の経路に変更がなかったとしたら、恐らく江戸は東山道のままであったはずで、日本橋東海道五三次の起点にはなりえなかった。歴史は大きく変わっていたであろう。

【出典】 日本実業出版社(著:浅井 建爾)
道と路がわかる事典

JLogosエディター

JLogos編集部

JLogos編集部です。…>>続き

キュレーターページ(外部)

まとめ一覧

プロフィールを見る

プロフィールを閉じる


  • 5060046
    0
    しおり
  •      
  •      



▼お隣キーワード:熊野古道  熊野街道  東海道  竹内街道  

   


  1. ◆「江戸日本橋」の関連ワード

  2. 熊野古道

  3. 熊野街道

  4. 東海道

  5. 竹内街道


A D

道と路がわかる事典について
"道を切り口に日本を旅する楽しみに出会う本。身の回りの生活道路の不思議から、古道の歴史、国道や高速道路、橋やトンネル、乗り物まで""道と路""に関する知識が満載。"
この言葉が収録されている辞典

 道と路がわかる事典


  • 【辞書・辞典名】道と路がわかる事典[link]
  • 【出版社】日本実業出版社
  • 【編集委員】浅井 建爾
  • 【書籍版の価格】1,620
  • 【収録語数】255
  • 【発売日】2001年11月
  • 【ISBN】978-4534033154










関連辞典
道と路がわかる事典 道と路がわかる事典 道と路がわかる事典 道と路がわかる事典