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 織田信長【おだのぶなが】



1 織田信長のすさまじいリストラ人事!!…佐久間信盛に下された「折檻状」の中身とは
 織田信長が強大になれた理由の一つは、完全な実力主義を敷き、門閥や地位にかかわらず、有能な者を取り立てていったからである。庶民出身の豊臣秀吉、浪人の明智光秀、忍者出身の滝川一益などが良い例だろう。逆に実力のない者、用をなさなくなった部下は、たとえ重臣だろうと容赦なく降格処分をおこなった。その一例を紹介しよう。
 1580年、10年以上続いた石山本願寺との戦争がようやく和睦することで終結した。同年、信長は本願寺のある大坂を訪れた。このとき、石山本願寺攻めの総指揮官・佐久間信盛は、主君を迎える準備をその居城・天王寺城で整えた。
 信盛は内心、本願寺攻めの功績による領地の加増を期待していた。しかし、天王寺城に信長は現れず、代わりに使者が信長の書状をもたらした。それは何と、19条にも及ぶ「折檻状」だったのである。主なものを要約すると、
「おまえは、天王寺城にいるあいだ、一つも良い働きをしなかった。石山本願寺を大敵と恐れて武力に訴えず、策略も用いず、ただ寺を包囲すれば、敵は坊主だから信長の威光を恐れて退去すると考えたのか。一戦もせずに持久戦に持ち込んだことは、まったく思慮がない。明智光秀や羽柴秀吉のような活躍ができぬなら、俺の意見を聞くなりすべきを、5年のあいだ一度でもそれがあったか。おまえたちには7国もの援軍をつけたのだ。それに自分の部下を加えたら、どんな戦いでも負けるはずはないだろう」
と、信盛の怠慢を手厳しく追及し、「おまえは、金ばかりけち臭く溜め込み、新しい家臣を召し抱えようとしない」と怒り、さらに筆はエスカレートしてゆく。「1572年の三方ヶ原の戦いで、家康の援軍におまえと平手某を遣わしたところ、武田軍を前に平手を見殺しにして逃げ帰ったうえ平気な顔をしている。1573年、朝倉氏を破ったさい、おまえの非を責めたところ、恐縮せずに言い訳し、座を蹴って退出した。このような行為は前代未聞だ!」と遠い過去をほじくり返し、ダメ押しに「おまえが俺に仕えた30年間、優れた働きなど一度もなかった」と言い切ったのだった。
 しかし信盛は、桶狭間の戦いでは善照寺砦(名古屋市緑区)を守って今川勢200を撃退したし、長篠の合戦では、織田軍の先鋒として、鉄砲隊を率いて武田軍を大敗させてもいる。さらに信長が信忠に岐阜城を与えて家督を譲ったおり、信長は一時信盛の館に身を置いている。信盛を信用し、頼みとしていた証拠だ。織田家中でも「のき佐久間」と謳われ、信盛に「退き(殿)」を任せたら右に並ぶ者なしと言わせた。まさしく百戦錬磨の武将であり、愚将であろうはずがない。
 折檻状の最後で信長は、「このうえは、どこかの敵を平らげ汚名を返上するか、剃髪して高野山に上り許しを乞うか」の選択を迫った。信盛は後者を選び、息子の正勝と共に高野山へと追放された。その後、大和十津川に移って隠棲、そこで失意の日々を送り、翌年7月24日、湯治中に亡くなった。追放から1年と経たなかった。信盛にとっては死刑に等しい仕打ちであった。遺骸は大徳寺高東院(京都市北区)に葬られた。
 ちなみに信長は、信盛父子に続いて、次に述べる林通勝など、次々と老臣らを追放していった。石山本願寺が陥落して畿内が平定されたいま、『狡兎死して良狗煮らる』の諺のごとく、利用価値のなくなった老臣たちは、主君・信長によって容赦なく捨て去られたのである。
 これが、超合理主義者織田信長のやり方であり、それがため、自身も追放に恐怖する明智光秀によって謀殺される最後を招くのである。

【出典】 日本実業出版(著:河合敦)
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  • 【辞書・辞典名】日本史の雑学事典[link]
  • 【出版社】日本実業出版社
  • 【編集委員】河合敦
  • 【書籍版の価格】1,404
  • 【収録語数】136
  • 【発売日】2002年6月
  • 【ISBN】978-4534034137










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