-
今日のこよみ ・2019年(平成31年/猪)
・12月(師走/December)
・19日
・木(Thursday)
・二十四節気
┣「大雪」から12日
┗「冬至」まで3日
・先負
・十支:庚(かのえ)
・十二支:寅(とら)
月名(旧歴日):下弦の月/下つ弓張(しもつゆみはり)
パチンコ【ぱちんこ】
- パチンコ機の製造は、愛知県の地場産業としてよく知られている。パチンコ機の製造シェアでは、愛知県は毎年トップ争いに顔を出している。こんな背景から、名古屋がパチンコの本場、発祥の地あるいは元祖といわれるようになったのだが、現在のようなパチンコ店が登場するのは実は大阪のほうが早い。大正時代なかばに伝わったアメリカ生まれのコリントゲームを縦型に改良したパチンコ台が大阪に登場したのは一九二九(昭和四)年で、名古屋で同型機での営業がはじまったのは翌年のことである。それが一変するのは戦後になってからだ。荒廃した世相のなか、庶民はパチンコ遊技場に手軽な娯楽を求めた。パチンコ台の製造が急がれることになったのだ。名古屋ではいち早く、一九四六(昭和二一)年にパチンコ台製造が再開されている。それは名古屋がパチンコ台の原料になるベニヤ板の集積地だったからだ。また軍需工場が多かったために、玉の原料にするベアリングが手に入りやすく、下請け会社だった中小企業には板金技術者がたくさんいた。名古屋には、パチンコ機の製造にぴったりの条件がそろっていたのである。さらに、パチンコ産業隆盛の引き金になる立役者も登場した。戦前からパチンコ店を経営していた正村竹一である。集客のために新しい工夫を考案していた彼は、台に打つ釘の並べ方に新しいアイデアを思いつく。一様に並んでいた釘の一部を抜いたり、打ちつける角度を変えたりしたのだ。結果は、それまで単調に流れ落ちるだけだったパチンコ玉の速さやハネる方向に変化が生まれ、遊ぶ人のハラハラ感、ドキドキ感を増幅させた。これが世にいわれている「正村ゲージ」である。正村はこの製法を特許とせず、ほかの業者がまねするにまかせた。これにより、名古屋でのパチンコ機製造が隆盛することになったのだ。正村ゲージはコンピュータ制御機となった現在も生かされていて、その点で確かに名古屋は元祖といえそうだ。
なぜ名古屋でパチンコが隆盛を極めたのか?
【出典】![]() |
東京書籍(著:東京雑学研究会) 「 雑学大全2 」 |
A D |
雑学大全2について | ||
|
この言葉が収録されている辞典 |
雑学大全2

- 【辞書・辞典名】雑学大全2[link]
- 【出版社】東京書籍
- 【編集委員】東京雑学研究会
- 【書籍版の価格】2,160
- 【収録語数】1,000
- 【発売日】2004年8月
- 【ISBN】978-4487801305