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今日のこよみ ・2019年(平成31年/猪)
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月名(旧歴日):下弦の月/下つ弓張(しもつゆみはり)
歌舞伎町【かぶきちょう】
- 新宿区の歓楽街を「歌舞伎町」と呼ぶが、よくよく考えてみると「歌舞伎町」に歌舞伎座はない。その理由は、第二次世界大戦での東京大空襲にさかのぼる。空襲によって焼け野原となってしまった新宿では、復興計画が立てられた。このとき率先して立ち上がったのが、今の新宿にあたる角筈北町の会長であった鈴木喜兵衛氏だった。焼け野原になる前の角筈北町は、民家や小売店が並ぶ静かな町だったのである。町を復興するには、以前と同じ民家を建てたのでは繁栄しないと考えた鈴木氏は、銀座と浅草を足して二で割ったような娯楽がある町にしたいと考えた。そこでシンボルとして考えたのが、歌舞伎劇場「菊座」の建設だった。実は、空襲以前にあった府立第五高女が戦災で焼けてしまい、中野区富士見町へ移転してしまったため、学校跡の敷地を有効活用しようとしたのだ。以前とは違うまったく新しい顔を持った活気のある町をつくろうということで、町の名も新しくすることにした。そこで、シンボル的存在の歌舞伎劇場の名をとり、「歌舞伎町」としたのが一九四八(昭和二三)年のことだ。ところが、劇場建設には膨大な資金がかかるため、結局この計画は頓挫してしまう。そのため、歌舞伎座がないにもかかわらず、「歌舞伎町」という名前だけが残ってしまったというわけだ。歌舞伎劇場の建設は叶わなかったが、鈴木氏はただ手をこまねいて見ていたわけではない。歌舞伎劇場の建設予定地で東京都産業平和博覧会を開催し、その会場跡を有効活用した。博覧会の産業館会場は東急が営業するスケートリンクに、二号館はオデオン座に、三号館は新宿劇場に、四号館はグランドオデオン座(現・東宝コマ劇場)とし、鈴木氏がめざした通りの活気ある町になったのである。
歌舞伎座がない町が「歌舞伎町」という地名になった理由
【出典】![]() |
東京書籍(著:東京雑学研究会) 「 雑学大全2 」 |
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雑学大全2

- 【辞書・辞典名】雑学大全2[link]
- 【出版社】東京書籍
- 【編集委員】東京雑学研究会
- 【書籍版の価格】2,160
- 【収録語数】1,000
- 【発売日】2004年8月
- 【ISBN】978-4487801305