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暖簾【東京雑学研究会編】
- 家の出入り口に布をかける習慣は、日本の気候風土に根ざしたものである。日本の夏は暑いので、戸をはずして風を入れたい。しかし、外から丸見えでも困る。そこで、日よけにもなる布をかけたのである。
古くは帷と呼ばれていたこの布は、室町時代頃から、暖簾という名になった。暖簾とは、もともと禅の言葉で、冬の寒さを防ぐために、簾とともにかけた布のことである。ほぼ同じ頃、暖簾をかけて戸口を開け放ち、客が自由に出入りできるようにした商店も生まれた。
そして、江戸時代になると、店の屋号を染め抜いた暖簾が普及する。こうなると、暖簾は看板であり、ブランドマークであり、暖簾にまつわるさまざまな言葉が生まれるほどになった。
「暖簾が古い」といえば老舗であり、「暖簾に傷がつく」のは、店の信用を損なうことである。「暖簾を下ろす」は閉店することを表す。
長年勤めた奉公人に、その功績を認めて、分家として店を持たせることを「暖簾分け」という。資金や得意先も、主家が分けてやることが多かった。
例えば、越後屋の屋号で知られた豪商三井家の場合は、奉公人の中でも元〆や名代、本店の組頭などの地位にあった者には、越後屋の屋号と、丸に井桁三の印を使うことを許した。
本店以外の組頭や役頭などを務めた者には、屋号は越後屋だが、暖簾印は丸なしの井桁三、平手代には、丸の中に越の字を使うことを許すだけだった。
ほかにも、暖簾に印をつけることは認めるが、看板や商売上の道具類には認めない、他国で商売するときは認めないなどの制限もあった。
これほど細かな規則があるのは、暖簾分けは単なる商標だけではなく、主家の技術や営業権、社会的信用までをも譲ることになるからであった。暖簾分けは、旅館業や職人の間にも見られた。
§暖簾はいつから使われ始めた?
【出典】![]() |
東京書籍(著:東京雑学研究会) 「 雑学大全 」 |
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雑学大全

- 【辞書・辞典名】雑学大全[link]
- 【出版社】東京書籍
- 【編集委員】東京雑学研究会
- 【書籍版の価格】2,160
- 【収録語数】1,000
- 【発売日】2004年8月
- 【ISBN】978-4487799473