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今日のこよみ ・2019年(平成31年/猪)
・12月(師走/December)
・19日
・木(Thursday)
・二十四節気
┣「大雪」から12日
┗「冬至」まで3日
・先負
・十支:庚(かのえ)
・十二支:寅(とら)
月名(旧歴日):下弦の月/下つ弓張(しもつゆみはり)
上総・下総【かずさ・しもうら】
- 千葉県は、その昔「上総国(上総の国)」と「下総国(しもうさのくに)」という二国(二地域)に区分されていた。しかし、奇妙なことに、千葉県の北のほうが「下総」であり、南のほうが「上総」となっている。地図上で見ると、「上」と「下」が逆なのである。上総と下総といったような呼び方になったのは、およそ七世紀後半のこと。この頃は、地図上では「北が上をさすから、地名にも上という字を使う」といった基準はなかった。実は「上」と「下」に分ける場合は、都に近いほうが「上」、遠いほうが「下」と呼ばれていたのだ。だから、「上総」と「下総」では、当然、「上総」のほうが都があった奈良(あるいは京都)に近いということになる。ところが、もう一度、地図で確認してみると、都への道のりは断然「下総」のほうが近いのである。地図上では、「上総」から都へ行くには、「下総」を通り抜けないとルートがない。とはいえ、そう感じるのは、東海道が整備された江戸時代以降のことである。「上総」「下総」と名づけられた当時の東へのルートといえば、整備された道などはなく、海路でいく以外に道はなかったのである。そこで、都から千葉地方へ行くとすると、三浦半島から東京湾をわたり、まず南側にある「上総」へ上陸することになる。もし「下総」に行くなら、「上総」へ上陸後、そこから「下総」まで足を延ばすといった具合だった。そのため、「上総」と「下総」では、「上総」のほうが都に近かったのである。当時の東へのルートが海路だったことは、『日本書紀』のヤマトタケルの東国遠征の記述でもわかる。ヤマトタケル一行は上総へ行く途中、暴風雨に遭ったため、海の神の怒りを鎮めるために、妻のオトタチバナヒメが海に身を投げた、と書かれている。
どうして北を「下総」、南を「上総」と呼ぶのか?
【出典】![]() |
東京書籍(著:東京雑学研究会) 「 雑学大全2 」 |
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雑学大全2

- 【辞書・辞典名】雑学大全2[link]
- 【出版社】東京書籍
- 【編集委員】東京雑学研究会
- 【書籍版の価格】2,160
- 【収録語数】1,000
- 【発売日】2004年8月
- 【ISBN】978-4487801305