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 中国の暦④【ちゅうごくのこよみ】


易姓革命による改暦



◆暦の不備は為政者の不徳となる
 中国においては太初暦(西暦前一〇四年)から中華民国成立によるグレゴリオ暦への改暦(西暦一九一二年)まで五〇回近い改暦があった。これは世界的にみてきわめて特異なことである。中国の頻繁な改暦を理解するキーワードは「易姓革命」である。
 司馬遷の『史記』暦書には、「王者が姓を易え天命を受けると、必ず始初を慎み、正朔を改め服色を易える」とある。天命を受けた王者が新王朝の樹立にともない、諸制度を変えるのが「受命改制」。これは中国にかぎらずどの王朝でも行なわれるが、中国において重視されたのは、年初を明らかにする「改正朔」と、宮廷で用いる衣服の色を選ぶ「易服色」である。
 「王者が姓を易え」るというのは、王者の家系(姓)に不徳な者が現われ民心が離反するようになれば、天は必ず新たに徳のある家系(姓)に王者の地位を譲り渡すという中国古来の天命思想を述べたものだ。たとえば殷から周への王朝交替においては、殷の紂王の子姓から、周の武王の姫姓への易姓があった。これが易姓であり、また天命が革まるから革命であり、あわせて易姓革命という。中国では前漢から南北朝の終わり頃までは王朝交替のたびに、以後は皇帝の交替によっても改暦が行なわれた。唐の時代の改暦は八回にものぼっている。
◆定朔法の暦では日食は必ず一日に起きる
 南北朝から唐の時代の中国の暦法には、破章法、定朔法が導入されるようになった。それまで中国では、一九太陽年=二三五朔望月=一章とする暦法が、約一〇〇〇年間にわたって用いられていた。これを章法というが、章法では端数が無視されているために、冬至や春分といった暦象は一九年ごとにずれていく。破章法とは章法に従わない暦法、すなわち一九太陽年と二三五朔望月を等しいとみなさない暦法のことで、南北朝時代の宋の大明暦(四六三年)に初めて採用された。
 定朔法による初の暦は唐の戊寅暦(六一九年)である。新月から満月へ、満月から新月へと、月の形が変わっていくのは、地上からみえる月と太陽の角度(これを離角という)が、毎日、増加していくからである。戊寅暦より以前の古い暦法では、この角度は時間に比例して増加し、一朔望月ごとに元にもどると考えた。これを平朔法という。しかし、実際には太陽と月が同じ方向にもどる周期は一定ではない。月の運行と太陽の運行は同一平面上にはなく、月は太陽に対して天球の南北方向にも移動するからである。このため朔望月の長さを等しいとする平朔法では、一朔望月後に朔が起こらない場合がある。そこで実際の太陽や月の運動に基づいて朔の時刻を決定して、暦を作成する定朔法が考えだされた。中国で定朔法が必要になったのは、日食の予測がはずれると、皇帝の権威が失墜してしまうからだ。定朔法では日食は必ず朔の日に起きる。

【出典】 日本実業出版社(著:吉岡 安之)
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